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Under Graph(アンダーグラフ)のバイオグラフィイメージ

インデックス

[Vo.] 真戸原 直人 Matohara Naoto / 1977.7.27
[Gt.] 阿佐 亮介 Asa Ryosuke / 1978.2.6
[Ba.] 中原 一真 Nakahara Kazuma / 1977.8.5
[Dr.] 谷口 奈穂子 Taniguchi Naoko / 1981.12.6

インデックス

イメージ
アンダーグラフ=「表面的でないココロの奥にある喜怒哀楽を形にした音楽を創っていく。」
という意味を込めて・・・。


1997年 Vo.Gt.真戸原直人、Gt.阿佐亮介を中心に、Ba.中原一真、Dr.谷口奈穂子らで結成。関西ストリートのメッカ大阪城公園(通称:城天)を中心に大阪.神戸でのLIVE活動を開始。
2000年 活動の拠点を東京に移し、都内ライブハウスでの精力的なLIVE展開を行う。
   
2002年3月 インディーズデビューシングル「hana-bira」リリース
9月 「ケ・セラ・セラ」をリリース。
   
2003年6月 「真面目過ぎる君へ」をリリース。
   
2004年9月22日 フォーライフミュージックエンターテイメントよりシングル「ツバサ」でメジャーデビュー。
発売から5ヵ月後の2005年2月にベストテン入りし、世代を超えて支持される名曲となった。
   
2005年
4月〜
USENでのレギュラー番組「アンダーグラフ アトノリズム」がスタート
中原・谷口のリズム隊がメインパーソナリティーを務める(2007年3月末終了)
4月22日 2nd Single「君の声」リリース。PVは生まれ育った関西で撮影された。
6月15日 1st Album「ゼロへの調和」リリース。
アンダーグラフにとって初めての「アルバム」発売。アンダーグラフがリスペクトするアーティストの1人であるジョン・レノンのミュージアムで試聴会を行った。
7月〜 N.Yで初の海外ライブを経験、夏フェスに出演、などライブ三昧の日々を送る。
8月10日 初のワンマンツアー「僕らは変わらずに、変わり続ける旅をする」が名古屋よりスタート。
東京・名古屋・大阪の3都市を巡るQUATTROツアーは全会場満員御礼!
9月28日 配信限定で「遠き日」をリリース。映画のイメージソングとして書き下ろされたこの楽曲CMや劇場予告を見た人たちのリクエストによって、3rd Singleに急遽収録されることとなった。
10月〜 JFN系列でレギュラーラジオ番組「アンダーグラフ0MHz」がスタート。
現在のメインパーソナリティーは真戸原と阿佐。
10月1日 学園祭ツアーがスタート。260校を超える出演依頼の中から、全国17校の学園祭に出演。
ぴあ学園祭ランキングNo.1を獲得。「ガラじゃないから恥ずかしい」と照れつつも、2005年学園祭キングの称号を得た。
11月26日 ツアー「ヒトワ、ヒトノウエニ、音ヲツクラズ」を11/26大阪・なんばHatch、12/2東京・Shibuya AXで開催。
12月14日 3rd Maxi Single「パラダイム」をリリース。
ライブのみで演奏されCD化を希望する声が多かった「君の日、二月、帰り道」と配信限定だった「遠き日」も収録た。
12月31日 地元大阪の「枚方パーク」にてカウントダウンライブを行う。
   
2006年3月22日 4th Single「真面目過ぎる君へ」をリリース
3月25日 高松DIMEを皮切りにSpring tour’06〜素晴らしき日々は、何気ない毎日〜と題し、
全国9都市を巡るツアーを行う。
4月8日 ニッポン放送「アンダーグラフのオールナイトニッポン」がスタート(2007年3月末終了)
初回放送はツアーで訪れていた福井より行う。
5月28日 spring tour’06の追加公演を東京・九段会館で行う。
spring tour'06 final 〜素晴らしき日々は、何気ない九段下。〜
6月21日 5th Single「ユビサキから世界を」をリリース
映画監督の行定勲氏がこの曲を原作に同タイトルの映画を制作して話題となる。
7月19日 2nd Album「素晴らしき日常」をリリース
7月25日 映画「ユビサキから世界を」のFree Screen Tour '06全国縦断無料上映ツアーがスタート。
8箇所9公演を行い、最終日にはYahoo!動画での配信も行った。
8月12日 「SUMMER SONIC 06」に出演。各地の野外イベントにも出演。
9月18日 学園祭ツアーがスタート、7校の学園祭に出演。
11月1日 C.C.Lemonホールより初のホールツアー、tour'06秋『2006年 日常への旅』をスタート
東京・名古屋・大阪の3公演を行う。
12月31日 長崎ハウステンボスにてカウントダウンライブに出演。
   
2007年5月2日 Double Lead Single「また帰るから/ピース・アンテナ」をリリース
「また帰るから」のビデオクリップはドキュメンタリー映像作家・河瀬直美監督が手がける。


インデックス

1982〜1997年 (UNDER GRAPH 結成前)
1982年 4月 幼稚園スクールバスにて、Vo.真戸原とGt.阿佐が運命の出会いを果たす。幼稚園初日バスの入り口で転びそうになった阿佐に真戸原が「大丈夫か?」と手を差し伸べた時、阿佐は「こいつを離さない」と思ったらしい。(実話)
12月 Dr.谷口生まれて初めての誕生日を迎える(当たり前だが記憶は全くないらしい)
1990年 8月 真戸原が幼い頃から所属していたスパルタ少年野球団で全国大会に出場。通算打率6割9分2厘、盗塁9をマーク。
  Ba.中原はクラス対抗ドッジボール大会で、最後の一人になるまで逃げ続けていた。
2月 真戸原と阿佐はそろって大阪の某有名私立中学校を受験するがそろって失敗。野球部に入る事を決める。当時本気でプロ野球選手を目指していた。
  谷口何故か「ドラムを叩きたい」と親に告げる。
  真戸原と阿佐は別々の高校に進むが、どちらからともなく、アコースティックのユニットを組む。様々なコピーをし、ライブハウスでのライブも行う。この頃何故か真戸原は急性アルコール中毒で救急車をはじめて経験している。
  その頃、中原は文化祭の為にベースを始める。
1997〜
2000年
阿佐が通っていた音楽スクールで、谷口に声をかける。その理由は「一番柔らかいドラムをたたいていた事、吸収力の恐ろしさ。」
  3人を中心に自主製作のデモテープを作り、地元大阪、神戸を拠点にストリートライブ、ライブハウスでのライブ活動を展開。関西のストリートライブのメッカ大阪城公園では、毎週末ライブを行い徐々に人が集まり出す。当時1週間で多いとき10ステージを軽く越えるライブを4ケ所でしていた。
  その噂が楽器屋で働いていた中原の耳にも届き、中原の胸を打った。「僕にベースを弾かせてくれませんか?」
  スタジオに入りその夜に「 UNDER GRAPH 」結成


2000年〜2004年 (UNDER GRAPH 結成〜メジャーデビューまで)
2000年 5月 引き続きライブをしまくる中、初ワンマンを大阪西九条にておこなう。同時に自主製作シングル「願い/夜空の下」をリリース。手売りで売りまくる。メンバー曰く「まさしく手売りでした。1枚、1枚売れていくのが本当に嬉しかった。」
  結果的に関西で1000枚、関東で500枚を売りきり完売。
7月 東京進出。
  都内ライブハウスを中心に活動を行いながら、都内近郊でストリートライブを行う。
2002年 3月 インディーズデビューシングル「hana-bira」をリリース。
TOWER RECORDS梅田店では発売週のインディーズチャート1位を獲得。
7月 Kiss-FM神戸でのレギュラー番組「UNDER GRAPHのQUE SERA SERA GARDEN」がスタート(〜2002.12月末)。様々なコーナーをメンバー自ら企画し、阿佐は、時に『侍』になり世の中の悪事を斬りまくった。
8月 ワンマンライブ『〜あの空の下で〜』を大阪心斎橋ミューズホールにて行う。
9月 2nd Maxi Single「ケ・セラ・セラ」をリリース。前作「hana-bira」を越えるセールスを記録する。
10月 関東での初めてのレギュラー番組「UNDER GRAPHのQUE SERA SERA STORE」がNACK5でスタート。(〜2003.3月末)
11月 「UG Apartment〜新築記念祝賀会inミナミ〜」と題したファン感謝イベントを大阪NEST SALOONにて開催。チケットが抽選になる程でした。
  メンバー曰く『全て手作りでイベントをしよう。という事になりチケットデザインにいたるまで自主製作。チケットは抽選だった為、当選者の郵送まで自分達でやった。「ありがとう」が伝わるイベントにしたかった』 。
2003年 1月 年末年始に関西、関東を駆け巡りライブを行なう。
6月 「真面目過ぎる君へ」がデモ段階でオ−ルナイトニッポンに取り上げられ、リスナ−からの問い合わせが多数あった事からオ−ルナイトニッポンレコ−ズが立ち上がり、Maxi Singleとしてリリ−ス。
2004年 1月 アンダ−グラフとして初のツア−で 福岡、広島、大阪、名古屋、静岡、東京を3バンドでまわる。
6月 メンバ−が大阪時代から愛用していた車が、とうとう煙りを吹き出し壊れる(走行距離20万?)どんな車かはツバサのCDの盤面にロゴが載ってます。

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